ボブ・フェラー(2)

恐るべし、ボブ・フェラー(2)



「火の球」(Fire baller)という異名で知られ、当時の大リーグに、まさに君臨したフェラーは、4シーズンにわたって、第二次世界大戦に従軍した。日本による真珠湾攻撃に憤慨して、その翌日に海軍に志願。大リーグ選手として、第1号の志願兵となった。かれの愛国心なり、正義感がうかがわれる。しかるに、20代後半の、もっとも充実した時期だったのだ。

海軍で、砲術の教育を受け、対空機関砲の砲手として、戦艦アラバマに乗り込み、サイパンで戦った。もしも、その期間に大リーグで投げていたら、300勝を軽くこえていただろうといわれる。時代が、フェラーを味方しなかった。これはテッド・ウィリアムズら、同年代の野球選手たちと同じく、選手生活でのピークの時期に、太平洋戦争に従軍していたことを考慮すべきであろう。

その前年の1940年、開幕戦の対ホワイトソックス戦のマウンドに上がったフェラーは、史上初の開幕戦ノーヒット・ノーランを達成。この試合で奪った三振は、わずかに8個だったが…。開幕戦で、ノーヒット・ノーランを記録したのは、後にも先にもフェラーのみである。27勝11敗、防御率2.61、261奪三振という素晴らしい記録で、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振と、投手三冠を獲得したにもかかわらず、だ。

そんなかれがマウンドの戻ってきたのは、1945年のシーズン終盤のこと。ブランクはあったが、復帰の対ヤンキース戦で、12奪三振の2失点完投勝利をマーク。豪速球と、カーブに加え、さらには高速スライダーを会得して、マウンドに戻ってきたのだ。

わずか1ヶ月のみの登板だったため、5勝3敗に終わったフェラーだが、兵役中に、その投球がレベルアップしていたのである。通算266勝まで勝ち星を積み上げ、以後、「スライダーの元祖」としても名を残したのである。

そんな翌年の1946年、4月30日。ディマジオをようする対ヤンキース戦で、2度目のノーヒット・ノーランも達成したのだ。それは、いつもながらの平凡な試合の幕開けではあったが、フェラーは徐々に調子をあげていく。8回まで両投手好投で、両チーム無得点。ただ、いつもと違っていたのは、かれが強力・ヤンキース打線を、ノーヒットに抑えていたのだ。

9回表、インディアンズの6番・ヘイズが、レフト・スタンド深く打ち返し、ついに均衡がやぶれた。そのウラだ。エラーで出塁のランナーを一塁において、ヤンキースご自慢の強力クリーン・ナップが登場。3番ヘンリックは、送りバントを決め、ランナーをニ塁にすすめた。ディマジオが打席に足を運ぶと、ヤンキー・スタジアムは大歓声に包まれた。

しかし、ディマジオの当たりは強烈だったが、ブードローの正面。これで、2アウト。お次は、キングコング・ケラーだ。2-1からの4球目のスライダーをひっかけ、打球は一、二塁間へころがり、二塁手が突っ込むもお手玉、一瞬はっとしたが、すぐに一塁へ送球。間一髪のアウトだった。その瞬間、ヤンキー・スタジアムは騒然となった。これは、ヤンキースが、本拠地でノーヒットに押さえ込まれたのは、これがはじめてだったのだ。

そんなころ、ある人が、
「きみはもう下り坂にあるという批評があるが…」
とたずねたところ、
「もしそうだとしたら、わたしが気づくはずだね」
と、フェラーは答え、それから10年間、大リーグで投げ続けたのだ。

1948年、19勝15敗の防御率3.56、164奪三振を記録したフェラーは、チームに28年ぶりとなるリーグ優勝をもたらした。たしかに、若いころの、あのスピード・ボールはなかったかもしれないが、長年待ち望んだ、初めてのワールドシリーズだった。

それだけに、不運なその開幕第1戦、そして乱打された第5戦と、惜しくも、0勝2敗に終わったフェラーの気持ちは、じつに察するにあまりある。ワールド・シリーズでの勝利投手という名誉は、ついにかなわなかったのである。

さて、その開幕第1戦、8回ウラ、二死一、二塁。フェラーはセットポジションにはいり、ランナーは徐々にベースを離れたその瞬間、振り向いて、二塁へ矢のような送球。監督兼遊撃手のブードローが、すばやく二塁ベースにはいり、このピックオフ・プレーは成功、と思いきや、判定はセーフ。監督兼選手であるブードローの懸命な猛抗議はうけいれられず、次の打者に、三塁ベース・ラインをやぶられ、この試合初の得点だったが、それが結果的に決勝点となった。

若きころのスピードはなかったかもしれない。しかしフェラーは、全力をかたむけてこの試合に投げた。奪三振もわずか2三振でしかなかった。しかしながらながら、ヒットはわずか2本だったのだ。泣いても、泣ききれない結果だった。それでもチームは、4勝2敗でワールド・チャンピオンに輝き、フェラーもその美酒を味わったものだ。

だが、三振奪取王の名を勝ち得た大投手・フェラーではあったが、ワールド・シリーズでの勝利投手という名誉はついにやってこなかった。

1956年まで現役を続けたフェラーは、メジャー通算18年、266勝162敗、防御率3.25、2581奪三振という数字を残した。ノーヒッター3回、1安打試合は12回も記録している。そのやめた理由ってのがふるっている。
「もうこれ以上挑戦する記録がなくなったから」
たしかに話を面白くするには、フェラーにとってはうってつけの言葉だ。

晩年は、白血病との闘いに、明け暮れたという。ジョー・ディマジオ、テッド・ウイリアムスらと、数々の名勝負を繰りひろげたが、それぞれがフェラーの剛速球をたたえている。フェラーの背番号・「19」は、インディアンズの永久欠番となっており、1962年には殿堂入りを果たしている。