虎よ、「優勝」を口に出せ!


金本監督を胴上げする。球団トップが、はっきりとマニフェストを打ち出した。5日、西宮市の球団事務所で球団開きの年賀式をおこなった。

「今年は必ず優勝しましょう!! 日本一になりましょう!! 金本監督に代わって2年。この2年で、優勝を狙う基礎力はついたと思います」
と、揚塩球団社長。かつて甲子園球場長などを歴任。昨年12月、6年ぶりに球団復帰した。
「球団から離れて冷静に客観的に見てきました」
と言って、選手にメッセージを寄せた。「日刊スポーツ」によると、
「有言実行です。『優勝するぞ』『日本一になるぞ』と言葉に出してほしい。言葉に出せば中身のある練習、工夫のある練習を継続しなければなりません」
年頭所感で選手に2つのリクエストを出した。「優勝の有言実行」と、「ベンチでの闘志全開」だ。目指すは13年ぶりリーグ優勝と、33年ぶり日本一。03年、05年リーグ優勝時に甲子園球場長だったアゲアゲ新社長が、ゲキ熱エールで金本阪神を鼓舞した。

■“燃える男”星野仙一氏死去、70歳。死因は、すい臓がんだった。

突然の訃報だった。楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。現役時代は、闘志あふれる投球で、中日のエースに君臨。ドラフト指名されなかった巨人に対抗心を燃やし、通算35勝を挙げ巨人キラーとしても活躍した。現役を引退後は、中日の監督として2度のリーグ優勝に導いた。

「闘将」と呼ばれた指揮官としては、率いた3球団すべてを優勝に導き、楽天では日本一に輝いた。昨年1月には野球殿堂入りを果たし、1か月前には元気な姿を見せていたばかり。日本球界の発展に多大な功績を残した“巨星”の訃報に、球界は大きな衝撃が走った。

阪神監督を務めたのは02、03年の2シーズンだけだったが、03年に18年ぶりのリーグ優勝を導き、05年のVの下地もつくった。
「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」
反骨心の塊のような男。02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導く。「勝ちたいんや!!」をキャッチフレーズにチームを改革し、就任2年目の03年に18年ぶりのリーグ優勝に導いた。体調面がすぐれず、この年限りで監督を辞すも、オーナー付シニアディレクターとしてチームを支えた。

02年に中日から阪神監督に招へいした時の球団社長だった野崎氏は、その手腕を振り返って、
「それはやはり、補強を力強く断行したことですね。久万オーナーに『あなたがしっかりした補強をしてこなかったせいで、阪神はこんなに弱くなった』と。久万さんは『星野にそう言われたよ…』ってつぶやいてました」
と、闘将と、名物オーナーの秘話を打ち明けた。

前オーナーの宮崎氏も、
「すごい人だった。野球の知識のみならず、経営に対する造詣の深さに驚いた。星野さんが持つ幅広い人脈のなせる業(わざ)だったと思う」
としのんだ。特に、2005年秋に発生した村上ファンドによる阪神電鉄株買収騒動では、星野さんのマネジメント力がいかんなく発揮された。

タイガース球団の行く末がビジネスライクに切り分けられることに危機感を覚え、関西のファンへ向けて、
「よくテレビ番組などで色んな話をしてくれた」
ことが大きな影響力となったという。

ふがいないプレーをした選手には鉄拳制裁もいとわず、納得のいかない判定には猛抗議で、乱闘になれば真っ先にベンチを飛び出した。半面、選手に対する愛情も人一倍。裏方さんらへの配慮も欠かさず、選手の妻たちは星野氏からの誕生日プレゼントに驚き、涙した。人間味にあふれた指揮官だった。

金本監督も6日、楽天の星野仙一球団副会長の死を悼んだ。兵庫・西宮市内の球団事務所で対応。「サンケイスポーツ」によると、
「私も昨日の夜遅くにうわさを聞きまして、朝、正式に聞くまでは、ウソであってほしいなと思いながら、夜中、何回も目が覚めた。いまだに受け入れられない。(昨年12月の)殿堂入りパーティーの時に控室で少し話しをさせていただいて。わずかな時間ですけど『しっかりブレずに自分の思うように頑張って、絶対、阪神強くなるから辛抱してやれよ』と言ってもらいました」
と話した。現役時代、広島からフリーエージェント宣言した02年オフに当時、阪神監督だった星野氏から熱心に誘われて阪神入団を決意した経緯がある。

03年には主力として18年ぶりのリーグ優勝に貢献。師弟関係を結ぶ間柄だった。悲しみを押し殺すように、
「2002年のオフ、僕がフリーエージェントの権利を取って星野さんが監督じゃなかったら、間違いなくタイガースには来ていないと思います。星野さんが監督をやっていなかったら、2003年も2005年も、まず優勝はなかったと思います。僕も2回、優勝させてもらって、本当にいい思いをさせてもらって、星野さんのおかげだと思っています。僕のなかで、関西の父親代わりですね」
と感謝した。

阪神監督時代、高血圧に悩まされたことが退任の大きな理由の一つとなり、楽天監督時代は持病の腰痛を悪化させ、難病の腰椎椎間板ヘルニアと、胸椎黄色靱帯骨化症と診断され休養。これが退任につながった。とはいえ、今回の病気については周囲にはほとんど知らせておらず、それだけに衝撃が広がっている。

昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり、
「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」
と、失われない野球への情熱を口にした。しかし、これが、最後の晴れ舞台となった。