シューレス・ジョー・ジャクソン(5)


八百長シリーズだって…、毎年耳にすることじゃないか。そんなウワサどこからくるんだろう。それでも、ホワイトソックスの選手たちのプレーが、どこかおかしいことに気づきはじめた。その一人、レッズの名選手・エド・ラウシュ(のち野球殿堂入り)によると、
「第2戦が終わったあとだった。知り合いが駆け寄ってきて、『このシリーズでは、八百長で、きみのチームが勝つようになっている』といってきたのだ。信じられなかった」

ジョーは、野球を楽しめなかった。それでも熱心にプレーをしたが、ホワイトソックスの選手の何人かは、実際にわざと負けるようなプレーをした。

現在では、ギャンブラーと、その策謀にかかわった選手たちの間では、八百長をやるときのサインが決まっていたことが知られている。その第1戦、ホワイトソックスのエース、制球力の良さで知られるエディー・シーコットは、レッズのトップ・バッターにデッド・ボールをぶつけるようになっていたのだ。その策謀に関わっていない選手たちには、たまたま手元がくるったとしか思えなかった。

シリーズ最終戦が終わったとき、ホテルのジョーの部屋に、
「1万ドルの約束が、5000ドルになった」
と、不平をこぼしつつ、ウイリアムズが札束のつまった封筒を渡そうとやってきたが、ジョーは受け取らなかった。そのかわり、
「お前も裏切ったのか」
と、大口論となり、ジョーは部屋を飛び出した。かれとは家族ぐるみの付き合いがあったのだ。戻ってみると、かれはいなかったものの、金の入った封筒はそのままあった。ジョーはふたたびコミスキーに会いに行ったが、門前払いをくった。

そのコミスキーは、あらゆる情報から八百長は真実だと確信していたのだ。そのくせ、新聞記者たちには、
「何も知らない」
とか、
「八百長に関する証拠を提供したものには、1万ドルの賞金を与える」
と、発表したりした。しかし、アメリカン・リーグを支配した初代会長、バン・ジョンソンは違った。野球界全体に大変な被害をおよぶのを承知で、このスキャンダルに対処した。証拠集めには、1年を要したものの、必要な証拠がそろうと、ジョンソンはすぐさま行動に出た。

それも、ホワイトソックスほか2チームによる白熱した優勝争いをやっている最中だった。それは、なにがなんでも、ホワイトソックスの八百長選手をワールド・シリーズに出場させたくなかったのだ。

これはまた、野球の運営に対する批判ともなった。皮肉なことに、その組織らしい組織もなく、統率するリーダーもない時期に、この危機を迎えたともいえる。

このスキャンダルが契機となり、イメージ・ダウンをおそれた3人の、というよりバン・ジョンソンの独裁的なナショナル・コミッションが廃止となり、あらたにコミッショナー制度がもうけられることになった。

そして、野球に利害関係を持たないコミッショナーを立てようとする意見が通り、すったもんだのすえ、野球を愛するランディス判事に白羽の矢がたった。

この裁判の結果は、シコッティと、ジャクソンの証言記録が、大陪審のファイルから消えてしまう事件もあって、選手たちは起訴されたものの、全員無罪の評決がくだされた。ギャンブラーたちがカゲで糸を引いていたのは、ほぼ明らかだったが、肝心の部分が闇につつまれたままあいまいな判決となった。

あとでわかったことだが、ギャンブラーたちのもくろみは、少なくともある程度うまくいったのだが、ギャンブラーたち自身、また選手たちのなかから続々と裏切り者がでたのだ。

裁判の記録によると、フィラデルフィア出身の元ボクサー、ビリー・マハーグと、レッズの元投手・ビル・バーンズに端を発した。

マハーグの証言によると、ホワイトソックスのエディー・シーコットが、シーズン中にビル・バーンズ接近。シーコットは、八百長には、あと6人の選手を抱き込むために、10万ドルを調達できるかたずねた。

しかし、2人で処理するには大きすぎると思い、ニューヨークの暗黒街の大物・アーノルド・ロススティーンに接触。が、かれは断った。その後、2人は、ロススティーン一家のボクシングのチャンピオンだった、エイブ・アデルと策謀。これにのったホワイトソックスの選手は、ジョーも含め、8人になっていた。

しかし、ここで仲間割れが起こった。シリーズの開幕戦、シカゴには、ロススティーンの相棒・ナット・エヴァンスが、出版屋のモンティ・テネスと話し込んでいた。エヴァンスは、ロススティーンと選手の仲介をしていたのだ。

その後、選手たちに支払う金ですったもんだあったものの、とにかくシリーズは終わった。

大陪審のはじまる前、選手たちと、何人かのギャンブラーは起訴されたものの、アデルはカナダへ、バーンズはメキシコに逃げた。エディ・シーコットは、チック・ガンディルに責任をなすりつけた。
「ガンディルは、野球選手になる前、ろくでもない連中とつきあっていた。だからこそ、シリーズで八百長をやろうと思いつくのも簡単だった」

選手はそれぞれ個人的に、ガンディルと交渉した。ガンディル、リズバーグ、それにマクミリンが首謀者であり、ガンディルがそのリーダーだったと、自供した。ガンディルは出頭を拒否し、アリゾナへ逃れ、その後の消息は聞かない。

1921年の8月、初代コミッショナーに任命されたランディス判事は、最終的な決定案を発表した。
「陪審の評決とは関わりなく、八百長をおこなう選手、八百長を請け合い、また約束する選手、八百長の方法、手段を共謀、討議するところにあって、不正選手および賭博者との会合に同席しながら、そのことをクラブにただちに告げない選手は、以降プロ野球界から永久に追放する」

ジョーはその後、セミ・プロチームで野球を続けていたが、寄る年波に勝てず、晩年は故郷に帰り、居酒屋を経営した。その間、ジョーの名誉回復運動もたびたびあったが、ランディスをはじめ歴代のコミッショナーは黙殺した。

そんな30年以上も経ったある日、ジョーに朗報が舞い込んだ。人気テレビ番組エド・サリバン司会の「町の名士たち」の出演依頼だ。しかし、不名誉を晴らし、無罪を訴えようとするその4日前、心臓発作で急死。永久追放処分のまま、生涯を終えた。

参考文献:『折れた黒バット』(ドナルド・グロップマン著 小中陽太郎訳 ベースボール・マガジン社刊)