最長老監督、コニー・マック(1)!

コニー・マック(Connie Mack)は、9度のアメリカン・リーグ制覇と、5度のワールド・シリーズ制覇。退場処分となったのは、1895年にパイレーツの選手兼任監督の時に一度だけで、アスレティックスを率いていた50年間は一度もなし。監督在任中の1937年に、野球殿堂を果たした。

監督退任後の1956年、93歳で死去。53年におよぶ監督生活のなかで、通算3731勝(3948敗)を記録するが、これはMLB史上最多勝利数である(敗戦数も、最多)。

Cornelius Alexander McGillicuddy, Sr.が、本名。あまりにも舌をかみそうな名前であって、アメリカ風に改名。マサチューセッツ州出身で、1862年12月22日生まれ。捕手、そして監督。ニックネームは、「The Tall Tactician」。パイレーツで3年、アスレティックスで50年と、半世紀以上53年間にわたって監督として指揮をとった。

1886年に、ワシントンD.C.にナショナルズが設立すると、イースタン・リーグのハートフォード球団から、ナショナルズに入団。5年目の1890年に、マックは他の選手とともに、プレイヤーズ・リーグのバッファロー・バイソンズで1シーズン。123試合に出場し、打力が売りの選手ではなかったが、特筆すべきは20死球。リーグ最多死球だった。

1891年に、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍。その1894年から、3年間に選手兼任監督として指揮。3年間とも、5割以上の勝率をマーク。1806年の現役引退と同時に、監督も退く。のち、ウエスタン・リーグ(現アメリカン・リーグの前身)であるミルウォーキー・ブリュワーズ(現在のブリュワーズとは別)の監督に就任。

1901年、アメリカン・リーグが創立されると、リーグ会長のバン・ジョンソンの要請もあり、フィラデルフィア・アスレチックスの球団創立に共同経営者として参画、みずから初代監督に就任。ユニフォームではなく、スーツ姿で指揮をした。

監督就任2年目となる1902年に、念願の初優勝。つぎに、優勝したのは1905年。この年はワールドシリーズが制定されており、対戦相手は最強ニューヨーク・ジャイアンツ。1勝4敗で、敗れてしまった。

ジャイアンツ監督、マグローに、ホワイト・エレファンツ(無用の長物)とバカにされると、マックはそれをチームのシンボルとした。今でも、ユニフォームの袖などに、白い象をモチーフにしたロゴがある。しかしながら、選手を見抜く目も確か、エディ・プランク、チーフ・ベンダーという後の大投手も獲得、投手力を重視するチームをつくり上げ、打線にもフランク・ベイカー、エディ・コリンズらを獲得した。

初のワールドシリーズを制覇は、1909年のこと。”10万ドルの内野陣”を率いて、1914年まで黄金期。このリーグ優勝を最後に、フィラデルフィア・アスレチックスは低迷期を迎える。ふたたび優勝するまでに、15年の時を要した。 その1914年にリーグ優勝するも、ワールド・シリーズで、ブレーブスの前に敗れると、主力選手を一挙放出したためだった。

1922年にオーナー、ベン・シャイブが亡くなった後は、息子ベン・ジュニアより経営の全権を委任、ベン・ジュニアが亡くなると、1936年以後は、オーナー兼監督となった。(現在ではオーナーが、監督、コーチ、または選手となることは禁止されている)。

1920年代に、アル・シモンズと契約を交わし、強打の捕手として才能を見せていたミッキー・カクレーンを獲得するために、カクレーンが在籍する球団ごと買い取る。さらにジミー・フォックス、レフティ・グローブらも獲得。10年連続で勝率5割を割っていたが、1925年に一躍リーグ2位に躍進。

1929年に、15年ぶりのリーグ優勝。対シカゴ・カブス戦で、4勝1敗でワールドシリーズ制覇。翌30年も、対セントルイスカージナルス戦を勝ち抜き、ワールド・シリーズ連覇。31年は、前年破った相手であるセントルイス・カージナルスに敗れ、ワールド・シリーズ3連覇はならなかった。

これがコニー・マックにとって、最後のリーグ優勝となった。 ワールド・シリーズで敗れるも、3年連続のリーグ優勝。その後、またマックは主力選手を放出し、球団が潤滑に経営できるように、ビジネス面を優先する決断。

1933年に、初めてオールスター・ゲームが開催されたときは、アメリカンリーグを指揮。34年には、日米野球での来日も経験。36年途中からは、全権を持つオーナー兼監督。その後、1950年までの50年間、87歳まで監督として指揮。

さて、晩年の老マックと、傷痍軍人ルー・ブリッシー投手との心温まるエピソードを、少し長くはなるが、紹介しよう

第二次大戦中、九死に一生を得たブリッシーだが、左スネの骨が、約12インチにわたり粉砕されていた。マック監督は、この男・ブリッシーを再起にみちびき、メジャーのマウンドで、7年間に44勝させている。

参考図書;『誇り高き大リーガー』(八木一郎著 講談社刊)

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