めくるめくディジー・ディーン(2)!


長身から投げ下ろす速球もさることながら、カーブと、チェンジアップのコントロールが絶妙だったらしい。
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そんなディーンも、晩年シカゴ・カブスへとトレード。肩をこわし、あのディジーといわれた、めくるめく速球も観るカゲもなかった。ある記者にいわせると、
「ハートと、ヘッドだけで投げていた」
という。1940年、引退。これで、ディーンの野球生活も終わったかといえば、そうじゃない。

むろん、とっておきのエピソードが待っている。セントルイスを去っても、
「オールド・ディズ」
と、セントルイスでは、いまだ絶大な人気を誇っていたディーン。それを、同じセントルイスにあるアメリカン・リーグのブラウンズが目をつけた。面白いことに、ディーンはブラウンズの専属アナウンサーとなって、セントルイスに凱旋したのだ。

ところが、このアナウンサー、方言まる出し、好き勝手のいいたい放題。ムリもない。少年時代、父との放浪生活で、小学校も4年までしか行っていない。それも、荒くれの男たちのなかで育ったのだ。それも、子どもたちがおもしろがって、真似をする。そのくせ、そのあまりなブロークンな話し方は、人々を楽しませたものだ。

しかし、とりわけ自チームの、あまりにも弱小すぎるブラウンズを、痛烈にけなしにけなしし続けた。それがまた、評判を呼んだ。オーナーも、さぞ困惑の態だったろう。されば、口は災いの元。よせばいいのに、
「こんなんじゃ、オレが投げたほうが、よっぽどマシだぜ」
とかなんとか、マイクの前でしゃべっちまった。

これには、前々から苦々しく思っていた選手の奥方連中から、
「それなら、ディーン本人が投げればいい」
と、抗議が殺到。お手並み拝見、ということにあいなったものだ。ビル・デウィット会長は仕方なく、ディーンに相談すると、
「いいですよ、いつ投げますか? 準備はOKです。あの連中は、頻々として電話してきて、うるさくてかなわない」
と、トントン拍子に決まってしまった。

さて、その当日、物見高い野次馬で球場は満杯。相手は、シカゴ・ホワイトソックス。
初回、単打で出塁されるも、併殺もあって無事終了。2回、またも、一死一塁。これもまた、併殺で切り抜けた。3回は、三者凡退。が、そのウラ、ディーンに打席がまわってきた。
「代打をだそうか? 」
という監督の親心を振りきるや、レフト線にクリーン・ヒット。一塁に出はしたが、肩の筋肉を傷めた。それでも、4回には、マウンドへあがった。先頭打者に安打をあびたが、つづく3人を凡退させた。

コテンパンにやられるかと思いきや、ヨタヨタしながらも、4回0封に切り抜けたところで、お役ごめん。球場での拍手は、いつまでも鳴りやまなかったという。ディーンのコメントは、こうだったらしい。
「肩で、よかった。喉をやられたら、明日から、商売あがったりだ! 」

1953年、殿堂入り。

参考: 『大リーグ不滅の名勝負』(ベースボール・マガジン社);(※ 01)
『誇り高き大リーガー』(講談社)