ジョン・マグロー、MLB史上最強監督! (3)

さて、マグローご自慢の最強チームは、1921年、ポロ・グランドを間借りさせていたヤンキースと、初のワールド・シリーズを戦うことになった。
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ヤンキースに、ベーブ・ルースあり。ラパート会頭の財力と、名将・ハギンス監督の手腕により、早くもワールド・シリーズに初出場。

前年、破格のトレード・マネーでレッドソックスから移籍したルースは、54本というとてつもないホームラン記録を打ち立てていた。

レッドソックス時代、ルースは投手としてワールド・シリーズに出場して、2勝をあげている。相手は、シカゴ・カブス。カブスが恐れたのは、投手・ルースよりも、打者・ルースだった。結果は、レッドソックスの4勝2敗。

怪物ルースの出現で、マグローの提唱する「科学的野球」は根本から覆され、打撃偏重の野球へと移る。マグローにとって、ホームランは単なる”おまけ”にすぎなかったのだ。

ルースのホームランを見たさに、観客が押し寄せた。ここ人気の面でも、マグローの”ニューヨーク・ワンマンショウ”は、あえなく幕を閉じる。

そんな状況を苦々しく見やっていたマグローだっただけに、1戦、2戦目の敗退は、さぞや悔しかったろう。しかし、マグローのおどしのようなハッパが利いたのか、ジャイアンツは大いに奮起し、ルースをはじめとするヤンキースの重量打線を抑え込み、5勝3敗でワールド・シリーズを制した。

1922年、またもヤンキースと対戦。ルースを完璧に押さえ込み、日没再ゲームを含め、4勝無敗で圧倒。

ここで、マグローの真骨頂というべき選手起用があった。クビになった投手(J・スコット)を再生し、来るべき時に準備をさせていたのだ。それが、第3戦目。読みは、的中。ヤンキース打線を翻弄して、なんと完封勝ち。会心の勝利だった。

1923年、またしてもヤンキース。しかし、2勝4敗で、ついにヤンキースに初のワールド・シリーズ勝利をプレゼント。

1924年、”ビッグ・トレイン”こと、大投手ウォルター・ジョンソンのいるワシントン・セネターズが相手だった。もちろん、ジョンソンにとって初のシリーズとなった。最終戦、今も語り草になっている小石にあたるイレギュラー・ヒットで、延長戦をモノにしたセネターズが勝利。

これ以後、マグロー在籍時のジャイアンツには、残念ながら、もうワールド・シリーズ出場機会は訪れなかった。

体調不安説が、有力だ。30年間、ジャイアンツの監督の座に君臨し続けたマグローも、ついに去るときがやって来た。

目に見えるものとして、持ち前のカンシャクが止まることを知らず、周囲のものは心臓発作を危惧。近しいものに、めずらしく弱音を吐くマグローを目撃している人たちもいた。やはり、マグローの健康不安は事実だったのだ。

1932年が、その時だった。ビル・テリーを自室に呼び、マグローは、監督打診をおこった。マグローもそうだったが、頑固者で一筋縄ではいかないテリーは、
「後ろ盾は、要らない。名実ともに、ホントの監督になりたい」
と、条件をつけた。マグローは苦笑いをしながらも、了承した。

次期監督・テリーは、むろんナ・リーグを代表する強打者の一人で、後年のテッド・ウイリアムズがあこがれた選手として有名だ。投手兼打者として稀有の天才選手でありながら、なんとサラリーマンをやっていた。縁があり、マグローと会って、1922年、ジャイアンツに入団。

そのテリー、入団まもなくのこと。打撃練習の際の投球で、即刻投手失格の烙印を押され、打者一本に専念させられたのだ。結果的には、マグローの眼力はさすがだが、当の鼻っ柱の強いテリーはさぞや悔しかったろうと想像する。

同年、一少年の投稿により、シカゴ万博の目玉として、ア、ナ両リーグの有力選手を一同にそろえ、初のオールスター戦が開催された。その際、ナ・リーグの監督に、引退していたマグローが担ぎ出され、一夜の指揮を執った。

これ以降、マグローは野球生活とはきっぱり縁を断ったようだ。時には、ニューヨークの名士として、各会合とかに参加はしていたが、ほぼ治療目的の悠々自適の生活は変わらなかったようだ。

皮肉にも、マグロー引退時の翌年、1933年、マグローがあれほど待ち望んだナ・リーグ優勝を、テリー以下ジャイアンツの面々が成し遂げる。そして、久方ぶりのワールド・チャンピオンに輝いたのだ。

翌34年2月25日、マグローは惜しまれて、この世を去った。

むかし、雑誌に載っていたマグローの一枚の写真を今でも懐かしく、思い出す。小柄で、二重アゴのでぶっちょのマグローが、バットを腰に当て、正面を向いている。それまで、剛毅なイメージを抱いていただけに、ちょいと拍子抜けした覚えがある。

しかし、眼光鋭く、険しい表情はマグローそのものだった。他人を寄せつけず、無言でひれ伏せさせる何ともいえない威厳が、そこにあった。勇猛果敢、マグローにこそ、この言葉がよく似合う。「リトル・ナポレオン」、それが彼のあだ名だった。

参考;『栄光のワールド・シリーズ』(ベースボール・マガジン社刊)、『誇り高き大リーガー』(八木一郎著/講談社刊)ほか。