ジョン・マグロー、MLB史上最強監督! (2)

その効果は、テキメン。

その年、1902年は最下位だった。が、翌年マシューソンと、マッギニティの活躍もあって2位に浮上。

3年目、ついに悲願の優勝を成し遂げる。マシューソンの大車輪の活躍があって、ピッツバーグとの死闘を制した。ここに、早くもニューヨーク・ジャイアンツは第一期の黄金時代に突入する。
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くしくも前年、ワールド・シリーズが大々的に開催されたが、この1904年、もろくも頓挫。それというのも、マグローと、ア・リーグ会長との確執にあった。あげくは、ジャイアンツ会長までもがマグローに同調し、ボイコット。

ジャイアンツは、翌1905年もナ・リーグを制覇。今回はファンの強圧により、しぶしぶ承諾。これが、マグロー・ジャイアンツのワールド・シリーズ、初お目見えとなった。

1903年から始まったワールド・シリーズは、時代の要請もあり、全米の祭典となった。その前身は、テンプル・カップにある。

それは、ピッツバーグ出身の野球狂・ウイリアム・テンプルの発案からはじまった。まだ、ナ・リーグ、一リーグ時代の頃、そのシーズンの1位と、2位チームが、テンプル・カップをめぐるポスト・シーズンに戦う7回戦のシリーズだった。しかし、ペナント・レース本来の価値が希薄になるということで、1894年から4回開催しただけで、消滅してしまったのだ。

マグローの初顔合わせお相手は、コニー・マック率いるフィラデルフィア・アスレチックス。この戦いは、4勝1敗で、ジャイアンツの勝利となった。

立役者は、むろんマシューソンだった。第1試合、第3試合、そして第5試合を完封で勝利。残り1試合は、第4試合を完封で締めたマッギニティだった。負けた試合も、完封負け。そう、この試合、全5試合完封というとんでもない試合だったのだ。

こうしてニューヨーク・ジャイアンツは30年の長きにわたって、マグローの指揮下、第2期、第3期と黄金時代を迎えることになる。その間、10回のナ・リーグ優勝、3回のワールド・シリーズ制覇。

そんななか、シカゴ・カブスの台頭もあって、マグローのリーグ優勝も困難ににみえた1908年のこと。ジャイアンツは一旦優勝を手中におさめたが、一つのボーンヘッドで、その優勝を逃すという前代未聞の出来事が起こった。世にいうところの、フレッド・マークル事件だ。

カブスとの優勝争いは、最終戦までもつれ込んだ。浮き沈みの激しいチーム、カブスは、チャンス監督のもと、ナ・リーグ二連覇の勢いをかり、史上最強の布陣でマグロー・ジャイアンツを圧倒していた。

最終戦のその試合は、緊迫した好ゲーム。しかし、ここで球史に残るボーンヘッドが起こる。

9回ウラ、二死一・三塁。ジャイアンツは、一打サヨナラのチャンス。一塁ランナーは、新人・マークル。次打者の快打でサヨナラ勝ち、リーグ優勝と思いきや、カブス二塁手・エバースのアピールで、審判がマークルにアウトの宣告。寝耳に水のマグローは激怒した。

抜け目のないエバースは、マークルが二塁ベースを踏まずに、優勝騒ぎのなかに入っていくのを見逃さなかった。彼はスタンドに投げ入れられたはずのサヨナラ安打の記念ボールを、どこで探して来たのか分からないが、ボールを二塁ベースにタッチし、猛アピールをおこなったのだ。

騒然となるなか、結局試合は引き分け再試合となる。九死に一生を得たカブスは、ジャイアンツのエース・マシューソンをたたき、その年のペナント優勝を勝ち取った。

マグローはというと、決してマークルを責めなかった。その後も、マークルは、ジャイアンツの主力として、マグローのもとでプレイした。しかし、それがマグロー・ジャイアンツのワールド・シリーズでの不運のはじまりだったとは、マグロー自身、知るゆえもなかった。

さて、第2黄金期のマグロー・ジャイアンツ。1911年~13年までのナ・リーグ3連覇だ。

その原動力はもちろん、大エース・マシューソン。そして、あらたに獲得したマークァード投手。しかし、いざワールド・シリーズになると、ジャイアンツらしくないゲームが続き、1911年、対フィラデルフィア戦、2勝4敗。

あげくは、頼みの両エースがフランク・ベーカーに、ホームランを2本たたき込まれ、”ホームラン・ベーカー”というありがたくないあだ名を献上したことだ。

翌1912年、対戦相手は、最強打者トリス・スピーカーのいるボストン。最終戦までもつれこむも、凡ミスで3勝4敗1分の惜敗。最終戦、マシューソンをつぎこみ、必勝の構えのジャイアンツ。ところが、1点リードもつかのま、センターへの凡フライをまさかの落球。これが最後まで尾を引き、敗退。

1913年、再度コニー・マック率いるフィラデルフィア戦。雪辱戦と意気込むも、あえなく1勝4敗で完敗。

並み居るレギュラー陣の故障で、総崩れ。どうにも、マグロー・ジャイアンツには、不運がつきまとっているとしか思えない。ワールド・シリーズになると、突然不幸なことが起こり、こんなあんなで善戦しながらも、勝てないのだ。

その後、マグロー・ジャイアンツはナ・リーグ優勝から見放され、エースのマシューソンをトレードまでしておこなったマグロー流のチーム改造で、ふたたび息を吹き返したのが、1921年から1924年までの前人未到の4連覇だった。

「最強のチーム」
と、マグローは豪語した。マグロー好みの選手たち、とりわけ走攻守と三拍子そろった最強スイッチ・ヒッター、フランキー・フリッシュを中心とした好選手が大活躍。ワールド・シリーズでの最高の注目は、ベーブ・ルースをようする初出場・ヤンキースとの対戦だ。

参考資料:『誇り高き大リーガー』(八木一郎著/講談社刊)、『栄光のワールド・シリーズ』(ジョゼフ・ライクラー編著 ベースボール・マガジン社刊)

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