マグローは、まれにみる強烈なキャラクターをもった監督だった。それだけに、敵も多かった。球界を引退してからというものは、訪ねてくる人もなく、さびしい晩年を送ったようだ。今さら、マグローでもなかろうとは思う。でも、大リーグの今日の繁栄は、こういった偉大な英雄たちによる賜物であろうことは忘れてはならないだろう。

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彼こそは、大リーグ創世期時の寵児だった。全アメリカ人のヒーローでもあったのだ。

アイルランド系の父親のもと、家庭は貧しくとも、野球好きのマグローはボールを追っかける日々が続く。1873年、ニューヨーク州トラクストンに生まれた。

マグローが12歳のとき、そんなフツーの生活が一変する出来事が起こった。ジフテリアで、母と、兄弟4人が次々と倒れていったのだ。父親はそんな過酷な状況に負け、酒におぼれ、悲惨ともいえる家庭内暴力のはじまりとなった。

「野球でお金をかせぎたい」
マグローの気晴らしは野球だったが、それを契機に、野球はマグローの唯一の職業になった。辛酸をなめつくしたマグローにとっては、切実な思いだったに違いない。

プレーするチャンスがあれば、マグローはどこにでも出かけた。しかし、そんなアマチュア野球の頃から、勝つためには手段を選ばないプレーには、周囲もマユをひそめたものだ。

とはいっても、どのチームも勝つためには、マグローが必要だった。すでに、彼は天才的ともいえる素質を充分に見せつけていたのだ。そんなマグローに、スカウトが目をつけたのは当然のことだった。1891年、ボルチモア・オリオールズ入団。

野球には、「ヒット・エンド・ラン」という戦法がある。
これを恐るべき戦法にかえたのは、マグローだった。一番打者・マグロー、二番打者・あの伝説のキーラーとのコンビで、ヒット・エンド・ランを連発し、相手チームを恐怖に陥れた。

それに、マグローは用意周到だった。腹心ともいえるキーパーとの打ち合わせで、前もってグラウンドのある部分だけを硬くし、バット・コントロールの絶妙なキーラーが、その地点に打球を叩きつけ、やすやすと次から次へと成功させたものだったらしい。

いわゆる「ボルティモア・チョップ」という。マグローにとって、野球は格闘技そのものだったのだ。

マグローは、負けることをとことん嫌った。三塁手だった彼は、走者を進めたくないばっかりに、とうせんぼしたり、ベルトを引っ張ったり、体当たりしたりと、いかなる反則もいとわなかった。自チームにとって、こんなに頼もしい存在はないだろう。

入団3年目には、すでにチームを牛耳っていたというから恐ろしい。恐れを知らないマグロー野球の原点が垣間見える。

そんな奮闘するマグローをよそ目に、大リーグは激動の時代を迎えようとしていた。

それはまず、慣れ親しんだオリオールズの分裂、そして消滅にあらわれた。ニューヨーク進出を目論んだオーナーは、ボルチモア球団をファーム化し、ブルックリン球団に有力選手を移籍させようと謀った。

むろん、反対多数。若いマグローが監督に就任し、ボルチモア球団は残ったものの、チームは抜けガラ同然。しかし、マグローは残った選手を叱咤激励。予想以上の活躍をみせたものの、悲願の優勝は叶わなかった。が、優勝争いまで持ち込んだのだ。

マグローのそんな努力もむなしく、諸々の問題でボルチモア球団はあえなく解散。そして、マグローはセントルイスにプレーイング・マネージャーとして、トレードされる。そんなこんなで、ナショナル・リーグに深い不信感を抱いていたマグローは憤懣やるかたない。

そんな時起こったのが、バン・ジョンソンによるアメリカン・リーグの創設だった。

ヤリ手といわれる新聞記者あがりのバン・ジョンソンが、1900年、自身が率いるマイナーのウエスタン・リーグを、盟友チャールズ・コミスキーとともにアメリカン・リーグの立ち上げをはかった。その目玉として、セントルイスでくすぶっているマグローを担ぎ出そうとしたのだ。

ナショナル・リーグに大いに不満を持っていたマグローは、快諾。ボルチモア・アメリカンズの若き監督兼選手として凱旋した。しかし、強烈な個性を持つ二人の蜜月は長くは続かない。

策士・ジョンソンの当初からの狙いは、興行的にはるかに有利な大都市ニューヨーク進出にあった。が、マグローにとってはボルチモアは自分を育ててくれた町だっただけに、マグローの怒りは大きく、ボルチモアをおん出てしまったのだ。

ところが、このマグローと、ナ・リーグがなんとも不可解な隠密行動をやってのけた。あろうことか、破格の契約で、当時おんぼろ球団でリーグのお荷物ともいわれていたニューヨーク・ジャイアンツのプレイング・マネージャーとしておさまったのだ。1902年のことだ。

マグローがマグローとしての名声を勝ち取るのは、ここからだ。マグローは、全米注目の的だった。

チームの勝ち負けは、人気にも左右する。今までも充分彼は戦ってはきた。が、それ以上に負けることの大嫌いなマグローが先ずやったことは、周囲も驚くチームの大幅な改革だった。

ジャイアンツの古参選手の大半を辞めさせ、ボルチモアから連れてきたジョー・マッギニティ投手などの選手と入れ替えたのだ。それに、その断行のさい、もう一つ注目に値するのが、泣かず飛ばずの若手大型内野手を、なんと投手に抜擢したことだ。

その選手こそ、あの大投手となるクリスティ・マシューソンその人だった。以後、マグローは彼が亡くなるまで、家族同士の交際は続いた。ひょっとしたら、マグローが心を許したのはマシューソンだけだったのかもしれない。

その球史の残る彼は、義務感からか第一次世界大戦のアメリカの志願兵となって、ベルギー方面で任務に着いた。が、運悪くマスタード・ガスを吸って生命を縮めることになる。

さて、効果はテキメン!?

参考資料:『誇り高き大リーガー』(八木一郎著/講談社刊)