大いなる田舎もん、ウォルター・ジョンソン(3)


そう、あの小石がもたらした勝利だ。

ジョンソン、初のワールド・シリーズ出場ということで、ワシントン市民だけじゃなく、全米注目の的となった。そう、このワールド・シリーズは、ひとりジョンソンにだけ向けられていたのだ。
w.johnson
ジョンソンは、大不調。にもかかわらず、打線が奮起して3勝3敗。決戦は、ワシントン・グリフィス球場。クーリッジ大統領夫妻も、臨席した。

じつのところ、この注目の第7戦、”ボーイ・ワンダー”ともいわれた青年監督、バッキー・ハリスの作戦が功を接した試合ともいえる。

ジャイアンツの大打者、まだ新人のころだったが、そのビル・テリーを意図的にゲームからはずしたのだ。テリーは右投手から、それまでの試合、5割の打率を誇っていた。マグローは、相手投手が右投手のとき、このシリーズ中だが、テリーを使っていた。

ハリスは、右投手としてスタメンを発表したが、2人だけに投げさせて、さっさと左投手にスイッチしたのだ。そして、目論見どおり、テリーを追いやってしまった。にもかかわらず、敵もさるもの、マグロー・ジャイアンツのやみくもの抵抗がつづいた。

8回を終わって、3-3の同点。ここで、ハリス監督は、9回から、ジョンソンをリリーフに起用した。それまで、2試合先発で投げるも、負け投手となっていた。18年目になって、やっとつかんだワールド・シリーズでのていたらく。傷心のジョンソンは、ベンチで試合をながめ、まさかもう一度出番があるとは思ってもいなかった。

そんなジョンソンが、マウンドにあがったのだ。ファンは大興奮して、ジョンソン・コールがおこった。ハリス監督は、ボールをジョンソンにたくし、
「あなたは、ぼくらの最上の投手だ。今日まで勝つも負けるも、あなたとあった」
と、全ナインの気持ちを伝えた。ジョンソンはといえば、押し黙り、ただ歯を食いしばって、手渡されたボールを見つめたままだった。

本調子でないかれは、それでも残る力を振りしぼり、打たれながらも、なんとか0点で切り抜けた。そして、ついに延長12回ウラに入った。マディ・ルールが二塁打を放ち、次打者のなんでもないゴロが、まさか幸運を呼ぶこむとはだれも予想さえつかなかった。

その打球が小石にあたって、三塁手の頭上を越えている間に、ルールがホームを踏んだ。待ちに待った決勝点が、セネターズに入ったのだ。
「わたしは、とてもほんとうとは思われないほど幸福だった」
と、ルールが三塁をまわってホームに駆け込む姿を見ながら、ジョンソンは涙をぬぐっていたという。それでも、ジョンソン狂想曲に、終わりはない。その日から、アメリカ中から、お祝いの手紙が大量に舞い込んでくるようになった。奥さんは、喜びをかみしめ、せっせと返事を出したそうだ。

1927年、39歳で引退。自チームの監督をつとめ、のちクリーブランド・インディアンズの監督もひきうけもした。監督を辞めたその年、野球殿堂が設立され、ジョンソンは、最初の5人のなかの一人に選ばれた。

参考図書;『誇り高き大リーガー』(八木一郎著 講談社刊)