恐るべし、ボブ・フェラー(1)

1997年のワールド・シリーズ第1戦で、マーリンズのロブ・ネン投手の速球が、本拠地・プロプレーヤー・スタジアムの電光掲示板に、時速102マイル(164キロ)と表示されたとき、観衆がどよめくなか、
「それは、おれのチェンジアップだ」
と、うそぶいた男がいた。

1940年に、メジャー・リーグのコミッショナー事務局が設定し、風変わりともいえる球速測定テストがおこわれた。シカゴ市内の公道を、封鎖。警官がバイクにまたがり、時速85マイル(137キロ)以上のスピードで、飛ばして走るのと同時に、ネクタイ姿のかれが、紙の標的に全力投球するという、前代未聞のデモンストレーションだった。

同事務局は、その姿を写したフィルムから球速を算出したところ、私服で、しかも平地で投げたにもかかわらず、時速104マイル(167キロ)を出したと、公表した。

さらに、46年に、米軍が最新のスピード測定装置を準備し、ワシントンのグリフィス・スタジアムで大観衆が見守るなか、かれが投げた。測定装置には、投球した瞬間、時速117マイル(189キロ)、ホームプレート通過地点で98マイル(158キロ)と出た。したがって、じつに平均108マイル(174キロ)というおそるべき数字をはじきだしたのだ。
Bob_Feller
その男、フェラーが、クリーブランド・インディアンズのマウンドにあがったとき、まだ高校在学中の17歳であった。メジャー・リーグ史上有数の豪速球にくわえ、大きなカーブと、一級品の高速スライダーもまじえ、6度の最多勝、7度の最多奪三振王に輝いた伝説的な名投手。火の玉にたとえられるほどの恐ろしい剛速球を投げることから、「ラピット・ロバート」という愛称がつけられたほどだ。

アイオワ州バンミーターの片田舎の農場にいた赤いほっぺの少年が、いきなりメジャー・リーグと契約し、1936年、カージナルスとのオープン戦で登板した。ちなみに、その時の契約金は、わずか1ドルであったという。

フェラー少年は、豪快な投球フォームから繰り出す豪速球を武器に、3イニングを投げ、1本のヒットと、1失点だった。が、打者9人から、8奪三振を奪う鮮烈なデビューを果たした。そのとき、三振を逃れた唯一の打者は、バントをしたのだった。

その場には、前年31勝を挙げたカージナルスの大エース、ディジー・ディーンもいて、新聞記者がフェラーと一緒に写真をとってもらえるか、と訊ねると、
「かれさえ承知なら、いいよ。今日の出来じゃ、あちらに発言権があるんだからね」
といって、フェラーをほめたたえたようだ。子供のころから、スピードは群を抜いていた。農場で働き、ボクシングのサンドバックを殴打したおかげで、おどろくほど腕力がついたともいう。

16歳の頃に、MLB史上最高の右打者、ロージャース・ホーンスビーを夢見たショート・ストップから、本格的に投手に転向すると、地元のセミプロ・チーム相手に、20奪三振を奪う快投を見せた。そんなこともあってか、フェラーの噂は、メジャー・リーグのスカウトにも届いていた。ただ、そのころのフェラーは、カーブなんぞ知らずに、真っすぐだけを投げ込んでいたようだ。

その試合の審判の報告で、インディアンズの総監督スラブニカがやってきて、ほどなくインディアンズと契約を結んだものの、それには一悶着があった。というのも、当時のメジャー・リーグは、高校生との契約を禁じていたこともあり、いったんマイナーのチームに置いて、隠そうと目論んだのだ。

が、すぐにバレてしまい、他球団からの抗議が相次ぎ、最終的に、インディアンズが地元のマイナー球団(デスモイネス)に、7500ドルを違約金として支払ってケリがついた。インディアンズにとって、フェラーはまさしくお宝だったのだ。

1936年の8月23日、対ブラウンズ戦で、晴れてメジャー・デビューしたフェラーは、15奪三振の完投でいきなり白星をゲット。それも、デビュー戦で、15の奪三振をうばったのは、17年ぶりの快記録だった。

つづく9月13日、対アスレティックス戦では、17奪三振を記録。ア・リーグ史上38年ぶりに、記録更新となった。1年目は、5勝3敗の防御率3.34で終わったが、あやういかな、左足を高くあげる独特のダイナミックな投球モーションで、9つの盗塁をうばわれ、あげくは10の四死球と、一つの暴投と、まだまだもろさもあり、荒削りではあった。ちなみに、まだ高校生だったフェラーは、シーズン終了後に学校に戻っている。

しかし、1938年、先発ローテーションに加わったフェラーは、39試合の登板で、17勝11敗の防御率4.08という成績を残し、さらに240個の三振を奪い、最多奪三振王を獲得。シーズン最終戦、ベーブ・ルースの60本塁打に挑戦するハンク・グリーンバーグようする対タイガース戦で、1試合18奪三振をマークした。後年、フェラーも一番興奮した試合だったと述べている。

それは、冷たい風が吹き荒れる10月2日の本拠地クリーブランド、ダブル・ヘッダーの第1試合でのことだった。フェラーは肩を痛めており、持ち前の速球はあまり投げず、カーブを多投したものの、新記録樹立も、試合は1-4で負けた。しかし、まだかれは19歳だったというところに、末恐ろしいものがあった。

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