1999年4月25日の試合前、ヤンキースタジアムの左中間にあるモニュメント・パークで、ジョー・ディマジオの額の除幕式がおこなわれた。ポール・サイモンが、この曲を歌い上げ、ディマジオを偲んだ。

Where have you gone, Joe DiMaggio?
Our nation turns its lonely eyes to you, woo woo woo
What’s that you say, Mrs. Robinson?
Joltin’ Joe has left and gone away, hey hey hey
Hey hey hey

joe_dimaggio

“ジョー・ディマジオは、どこへ行っちゃったの?
みんな、さびしがってるのに・・・
“はぁ? 何だって? ロビンソンさん?
飛ばし屋ジョーなんて、もうとっくに引退して
いなくなっちまったぜ、しっかりしてくれよ、オイ”
ご存知、サイモン&ガーファンクルの代表曲、映画・「卒業」の挿入歌“ミセス・ロビンソン”から。この年、3月に、ディマジオは他界した。

ベーブ・ルースが引退した翌1936年、ヤンキースに22歳の新生がメジャーに昇格してきた。ジョー・ディマジオである。そのデビュー戦で初本塁打を放つなど、1年目から打率.323厘、29本塁打、125打点と大活躍。兵役の3年間を除いて、かれのプレーした実働13年間に、ヤンキースは10回ワールド・シリーズに出場し、9回もワールド・チャンピオンになっている。

そんなディマジオを語る上で欠かせないのは、やはり1941年5月15日のホワイトソックス戦から始まった、永久とも、不滅ともいえる大記録・「56試合連続安打」だろう。アメリカが第2次世界大戦に参戦したばかりで、イヤなニュースしかない時に、ディマジオは56試合連続安打を続け、その間、人々にとって戦争を忘れることができたのだ。全米中が、ディマジオの連続試合安打の話題でもちきりになった。ディマジオは、まさしくこの時、アメリカンヒーローになった。

さて、現役中のディマジオのあだ名は、ご存知のように“ヤンキー・クリッパー”だった。クリッパーとは快速帆船のことを指すのだが、この場合、当時ニューヨークと、ボストン間を走っていた特急列車の名前に由来する。つまりディマジオは、優秀な安打製造機と同時に、俊敏なランナーでもあったのだ。ライバルのテッド・ウィリアムズも、
「自分とディマジオの違いは、ディマジオはすべてのプレーを優雅にこなす点にあり、ディマジオは三振しても絵になった」
と語っている。それともう1つ、ディマジオの優雅さを決定づけたのは、その走塁だった。
「誰よりも足が速いというわけではなかったが、走塁技術は抜群だった。走らせれば、50、60盗塁は楽に記録したはずだ」
と、マッカーシー監督は述べ、それに続けて、
「でも、1日に2度も、3度も固い地面の上で滑り込みさせるわけにはにはいかない。そのことで脚を痛めたりしたら、被害甚大だからね」
と語っている。守っては、守備範囲はおそろしく広く、かつ強肩で相手走者の進塁を許さなかった。背番号「5」は、もちろんヤンキースの永久欠番となり、1955年に殿堂入り。

そんなディマジオが、マリリンに出会うまでは、彼は生きた伝説であった。 彼女は、『モンキー・ビジネス』の撮影中。2人はすぐに仲良くなり、1954年1月に結婚。しかしながら、
「野球と同じで、9ヶ月でおわるんじゃないだろうか」
と、まわりはウワサしたのだが…

悲劇は、新婚旅行の日本において、はじまった。ディマジオは、それまで何回か日本を訪れていて、人気は絶大なものだった。ところが、皮肉なことに、ファンの人気はディマジオより、マリリンに集中したのだ。

そもそもは、新聞のある写真に、ディマジオは、興味をおぼえた。写真には、シカゴ・ホワイトソックスの2選手と、ブロンドの美しい女優が写っていた。かれは、
「あのブロンドは、だれ?」
と、友人に訊いた。そのまた友人に頼んで、デートを申し込んでもらった。 マリリンは、その申し出をはねつけたという。マリリンは野球が嫌いだったし、野球選手はもっと嫌いだったのだ。 ジョー・ディマジオという名前すら知らなかったという。それでも、マリリンはハリウッドのヴィラ・ノヴァ・レストランで会うことにした。次の日、友人はマリリンに電話をかけた。
「どうだい、やつを気に入っただろう?」
マリリンは
「三振ね」
と答えたそうな。マリリン・モンロー、1926年6月1日 、ロサンゼルス生まれ。本名、ノーマ・ジーン・モーテンソン。

私生児として生まれ、不幸な幼少期を過ごす。1946年から、ハシ役で出演。53年の『ナイアガラ』での「モンロー・ウオーク」と呼ばれた官能的な歩き方が評判になり、『紳士は金髪がお好き』でいちやくトップ・スターに躍り出る。以来、豊かな肉体と、あどけない容貌で、全世界の「セックス・シンボル」になった。

ディマジオはマリリンにすげなくされたものの、ディマジオは2週間というもの、毎日彼女に電話をかけ続けた。が、うらめしく思いながらも、とうとうやめてしまった。だが、そのころマリリンのほうはというと、ディマジオにもう一度会ってみたいと思うようになっていた。今度は、マリリンがデートを申し込んだのだ。

それから1年と6ヶ月、マリリンとディマジオのことは、ハリウッドで一番ホットなニュースとなった。だが、2人の間には、いくつもの障害が立ちはだかっていたのだ。

※「記者魂」より;アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞受賞 ブルース・ダシルヴァ著 青木千鶴訳 早川書房刊。

★参考図書;「誇り高き大リーガー」(八木 一郎著 講談社刊)