MLB史上最高の左腕投手、サンディ・コーファックス(2)


1958年、ドジャースは新天地を求め、西海岸・ロサンゼルスに本拠地を移転。不動産取引でボロ儲けをしたウォルター・オマリーは、球団移転でさらに利益を膨らまそうと考えた。しかし、オリンピックで使用したロサンゼルス・コロシアムをメイン球場としたが、どうにも具合が良くない。

Sandy_Koufax

1962年、新築なったドジャー・スタジアムにあらためて移転。投手絶対有利の球場だ。名将ウォルター・オルストンのもと、ギル・ホッジス、デューク・スナイダーを中心とした”強打のチーム”から、投手力中心の守りの野球に大転換を計ろうとしていたのだ。いよいよ投手王国・ドジャースの誕生となる。

左右の両輪が育つには、そんなに時間は必要ではなかった。ドン・ニューカム引退後、ドン・ドライスデールの奮投が、まず始まった。期待のサンディは、ようやく目覚めようとしていた。

目の覚めるような投球で18勝をあげ、エースに名乗りを上げたのが、1961年のことだ。

1962年、開幕から、数ヶ月故障のため出遅れはあったものの、復帰直後、対ニューヨーク・メッツ戦で、初のノーヒット・ノーランを達成。防御率のタイトルを手中。以後、5年連続でそのタイトルを独占。

1963年、投手三冠を制す。いわゆる、最多勝、最優秀防御率、そして最多奪三振の三冠だ。ストライク・ゾーンの拡大も手伝って、25勝5敗というまったく信じられない戦績を残す。ちなみに、防御率は驚異の1.83、奪三振は306個。

また、その年、サンディは、対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、2度目のノーヒット・ノーラン。ナショナル・リーグ、MVP。初のサイ・ヤング賞の獲得。また、ミッキー・マントルようする宿敵ニューヨーク・ヤンキース戦のワールド・シリーズで、はたまた快挙を成し遂げる。

第1戦先発のサンディは、先頭打者から5者連続の三振を奪い、観客の度肝を抜いた。そして、トータル15奪三振は、シリーズ記録となった。ここに、過去の大投手と名実ともに肩を並べることになった。

その勢いをかって、ドジャースは、ヤンキースを4タテ。むろん、サンディは、シリーズMVPをも獲得。

そのとき、サンディの凄さを目の当たりに見たヤンキースの名捕手・ヨギ・ベラがこぼしたのが、実にふるっている。
「25勝もしたのは分かった。が、なぜ5敗もしたのだ」
1964年、19勝5敗。対フィラデルフィア戦で、3度目のノーヒット・ノーランを達成。

向かうところ敵なしのサンディは、1965年、大偉業を成し遂げる。対シカゴ戦で、4年連続でノーヒット・ノーラン。それは、完全試合というおまけつき。今もって、MLB史上の大記録。またも、投手三冠を制覇。382奪三振は、メジャー記録を塗りかえた。

ワールド・シリーズには、むろん進出。対ミネソタ戦で、サンディは、その実力をいかんなく発揮。シリーズ史上最多の2度目のMVP。

この年、冒頭にも書いたが、第1戦先発候補であったサンディは、ユダヤ教最大の祭りの一つ、ヨム・キプルのため、先発を回避。ユダヤ教徒の圧倒的賛成を得る。

1966年、自己最多となる27勝をマーク。はたまた、投手三冠。3度目のサイ・ヤング賞を獲得。しかし、対ボルチモアとのワールド・シリーズに敗退。ワールド・チャンピオンを逃す。

そのオフのこと、11月18日、突然の引退表明。この6年間の戦績は、129勝40敗。

引退には、ちょいとした経緯がある。球界では、投手として最高年俸をとっていたサンデイは、この年(1966年)、27勝9敗という見事な成績をあげた。

シーズン終了後、サンディは、同僚ドライスデールとともに、大幅な年俸をはかった。が、球団は渋った。すると、引退する、と宣言。いわゆるダブル・ホールドアウトに打って出たのだ。事実上の契約拒否である。

1964年、サンディは球界初の代理人交渉を繰りひろげるという前歴もあった。そう、サンディは後のFA制度の先駆者でもあった。

サンディには、そこまでこだわる理由があった。登板過多による左ヒジの関節炎の悪化だ。彼の左ヒジは、曲がっていたのだ。あげくは、その腕がどんどん縮んでいくというあまりにも悲劇的な事態に見舞われていたのだ。当番前には、痛み止めの注射。登板後は、アイシングをかかせなかった。それが、結果的に、サンディの野球生命を縮めることになったのだ。

「野球をやめた後でも、健康な身体で過ごしたい」
と、引退を発表。後、サンディはNBCのスポーツ解説者となり、10年余も全世界のスポーツ・ファンに語りかけた(ちなみに、ドライスデールはABCの解説者)。

その後、愛妻アンとロサンゼルス郊外の山荘にこもり、あまりにも早すぎる隠居生活を送る。そうそう、奥さんは、あの西部劇で妙に存在感のある悪役として知られたリチャード・ウィドマークの娘さんである(残念なことに、個性的な俳優で知られた彼は、コネチカット州の自宅で逝去。つい先月のことだ。93歳だった)。

1972年、サンディは史上最年少の36歳で、殿堂入りを果たす。
参考;「誇り高き大リーガー」(八木一郎著 講談社刊)
「The Sports Encyclopedia Edition Baseball」